【テレビ局スタッフ】「はーい! ではこれでMiuさんの撮影、終わりとなりまーす」
【美羽】「お疲れ様でした」
テレビの収録が終わると、スタッフに頭を下げる。
そのままくるりと背を向けて、私はスタジオを出た。
スタジオの廊下を歩くと、脇にはネームプレートが掲げられていて、
そこに俳優やアーティストの名前が書かれた紙が貼られている。
俳優さんは別のスタジオで撮影しているのかな、
と私はそれを時々見ながら自分の楽屋へ向かう。
(同じフロアにある楽屋って事は、隣のスタジオだったのかも)
ぼんやりそんな事を思いながら、角を曲がった時だった。
いきなり目の前のドアが開き、2人の人影が出てきた。
【有紀】「あ」
1人は最近見慣れた有紀。
もう1人は、たった今収録が終わったばかりの音楽番組の女性プロデューサーだった。
けど、私はすぐに眉根を寄せてしまう。
女性プロデューサーの胸元はひどく乱れ、わずかに下着が見えているからだ。
しかもストッキングは皺が出来て、慌てて着た事が一目で分かる有様。
もっと言うと、プロデューサーの頬は蒸気し、赤く染まっている。
これで察せないほど、私も子どもじゃない。
(これは……有紀とプロデューサー、さっきまでこの部屋で……)
疑いの眼差しを有紀に向けると、有紀はバツが悪そうに顔を逸らした。
そんな私と有紀の間で、女性プロデューサーが咳払いをした。
【???】「話を聞かせてくれてありがとう。またよろしくね」
【有紀】「あ……ああ、はい。こちらこそ」
プロデューサーは軽く手を振って、足早に去って行った。
いつもは綺麗に歩く人なのに、今はわずかに足がふらついている。
それを見つめていると、今度は有紀が咳払いをした。
【有紀】「今、終わり?」
【美羽】「そうだけど……でも、有紀達は私よりもずっと前に撮影が終わってたよね?」
今日は音楽番組の収録で、ランキング形式に歌を紹介するもの。
合間にライブ映像などを流す番組で、同じ番組でも私とapple‐polisherの
メンバーの撮影時間はずれていて、私の方がずっと後だったのだ。
【有紀】「なんだ、知ってたのか」
【美羽】「香盤表を見たから」
【有紀】「そっちは、今日ラストの撮影だったよな。そっか、もうそんな時間か」
有紀は腕時計を確認すると、頭を掻いてこちらに目を向けた。
【有紀】「俺も今から帰るし、送るよ」
【美羽】「成海君達はどうしたの?」
【有紀】「もう帰ったよ」
【美羽】「まあ……そうだよね」
あえて、どうして残っていたのかは聞かない。
知りたくもなかった。
【有紀】「どうする? 小笠原さんがいるなら、このまま俺は帰る」
【美羽】「今日、小笠原さんは別の現場なんだ」
【有紀】「じゃあ、決まりだな。タバコ吸って待ってる」
【美羽】「う、うん」
そう言い、私はそこから3つ先の自分の楽屋へ入っていった。
楽屋に戻ると、大きなため息をついてしまった。
呆れているわけではないけど、まさか自分が知人のそういう場面に遭遇するとは
思わなかったから少し戸惑ってしまった。
水を飲んでメイクを落としながら、さっきの有紀とプロデューサーを思い出す。
(apple‐polisherのような実力があるバンドでも、やっぱり、
ああいう事しなきゃダメなんだなあ)
この業界が実力だけじゃどうにもならない事くらいは、嫌というほど分かっていた。
今まで私自身も、男性女性問わずプロデューサーやスポンサーからそういう話をされた事がある。
『言う事を聞かないと番組に出さない』って言われたのは1回や2回じゃない。
だけど私は全部断ってきたし、やれるものならやってみろ、と言い返してきた。
結果本当に出られなくなった番組が、いくつかある。
おかげで露出も減った。
けど、私は後悔なんてしていない。
そんな事をして得る地位なら、いらない。
それに……きっと、受け入れてしまったら、私は、歌う事が嫌いになっていたと思う。
(有紀が、あのプロデューサーとそういう取引してるなんて、嫌だな)
有紀が女性とそういう事をしている事が、じゃない。
そんな有紀の行動の結果で、成海君が世間に出ているのが嫌だった。
(成海君に失礼だよ。……成海君のためにも、注意しよう)
私は着替えを終えると、深呼吸をしてから楽屋を出た。
駐車場に下りると、有紀は自分の車に向かって歩き出した。
【美羽】「有紀」
その背中に向かって声をかける。
【有紀】「ん? 何?」
【美羽】「あの……さっきは黙ってたけど、やっぱり言わせて」
【美羽】「バンドのためを思ってあのプロデューサーと関係を持ってるんだったら、やめてほしい。
成海君は、きっとそんなの喜ばない」
【美羽】「もちろん、テレビに出る機会は減るけど……
apple‐polisherなら、そんな事しなくても大丈夫だと思うんだ」
【美羽】「だから、わざわざ自分を売るような真似は……」
【有紀】「なあ、なんでそうやって決めつけるんだ?」
【美羽】「え……」
予期しなかった答えに、すぐ言葉を返せず、戸惑う。
【有紀】「俺とあの人は、真剣に付き合ってる。
ただ偶然、今日は現場が同じになったバンドマンとプロデューサーだった」
【有紀】「……そうだとしたら、どうする?」
確かに有紀の言う通りだった。
そういう可能性だってあったんだ。
(それが浮かばなかった私こそ、この業界に染まってしまっていたのかもしれない。
本当、嫌になる)
【美羽】「ごめんなさい。私、考えが足りなくて……付き合ってるの?」
【有紀】「まあ、そんな事いいじゃん」
【美羽】「は?」
【有紀】「あの人との関係なんて、わざわざ話す事じゃないし、お前に言う必要も義務も義理もないだろ。
ほら、もういいから乗りな」
有紀は顎をしゃくって乗るよう促す。
(もしかして……誤魔化された? 相変わらず有紀ってよく分からない……)
(このまま車に乗ってもいいのかな……)
少し悩んだけど、私は車に乗り込む事にした。
有紀の車は夕星と違って日本車で助手席は左、運転席は右側。
シートベルトをしながら車内を見回していると、有紀が運転席に乗ってきた。
彼は気楽な様子で鍵を差し込みエンジンをかけ、ハンドルを握った。
車はするりと駐車場を出て、夜の街を走る。
【有紀】「音楽かけてもいい?」
【美羽】「お好きにどうぞ」
【有紀】「すっかり、美羽の機嫌を損ねさせたみたいだな」
【美羽】「……」
呆れる私に有紀は苦笑しながら、音楽を流しはじめた。
最初に流れてきたのは、アメリカの有名な歌姫の曲。
その歌を聴きながら、ふい、と車窓に目を向けた。
(結局どっちなんだろう……分からない……ああ、もう! モヤモヤして気持ち悪い)
釈然としない思いが胸にしこりのように残り、落ち着かない。
そこへ、2曲目が流れてくる。
【美羽】「あっ……!」
次もアメリカの歌手だけど、今度はマイナーなバンドの曲だ。
【美羽】「この曲好きなの!?」
【有紀】「ああ。向こうにいた頃に知って以来、よく聴いてる」
【美羽】「このバンドを知ってる人に初めて会った!」
【有紀】「へえ。美羽、好きなのか?」
【美羽】「うん! ここのバンド、とにかくギターが攻めてるよね」
【有紀】「ああ……」
【美羽】「でも乱暴になりすぎず、上手く音を奏でてて……歌詞も独特でドキッとさせられちゃう」
【有紀】「そうだな」
私がこのバンドについて話す間も、有紀は『ああ』だとか『そうだな』しか言わない。
本当にこのバンドが好きなのかな? と思うほど、反応が冷めているのだ。
【美羽】「……あの、私の話、退屈?」
【有紀】「いや、別に」
【美羽】「でも、さっきから全然話に乗ってこないし……。
有紀、口下手ってわけじゃないから、私の話が面白くないのかと思って」
【美羽】「もしくは、私と話したくない……とか?」
【有紀】「んー……」
有紀は少し悩む仕草を見せた後、照れくさそうに笑った。
【有紀】「さっきから困っててさ」
【美羽】「え? 何を?」
【有紀】「美羽みたいな可愛い子を隣に乗っけてるだけでも緊張するのに、
どうも俺と好みが一緒みたいで……」
【有紀】「それは俺と似ているからなのか、それとも、
俺の気を引こうとして話を合わせてくれているのか……
どっちなんだろうって考えてたんだけど、答えが出なくて」
【有紀】「俺が興味のなさそうな顔してたって言うなら、謝るよ。悪かった」
有紀は横目でちらりと私を見た後、すぐに前方へ視線を戻した。
そんな有紀の横顔をじっと見つめ、言葉を選ぶ。
【美羽】「それを言うなら、私も今、困ってるわ」
【美羽】「私達は『似てる』って言ったとして、有紀は自分に似てる人には興味なさそうだし……」
【美羽】「『気を引こうとしてる』って言ったとしても人に合わせる女は好きじゃなさそう」
【有紀】「……」
【美羽】「今のは駆け引きなのか、口説こうとしてるのか、本音なのか、分からなくて困ってる。
どっちにしろ私は……」
【有紀】「成海が好きだから、俺には興味ないんだろ?
本音を聞かされても、駆け引きにしても、口説かれても迷惑だって話か」
【美羽】「迷惑って、そこまでは言ってないけど……」
【有紀】「俺の考えが見透かされてるとは思わなかったよ。降参」
【有紀】「そうだ。降参ついでに忠告しておくな。
成海を好きになるのは勝手だけど、成海をお前の感情に巻き込んで振り回すような事はするなよ?」
声のトーンはさっきと同じなのに、急に言葉に棘が増した。
驚いて有紀から目が離せなくなる。
でも彼は、相変わらず前を向いたまま。
【有紀】「お前の色恋沙汰に巻き込まれて、成海が傷つくような事にはさせないから」
ブレーキをかけて車を停めた有紀の顔がこちらに向けられる。
その顔には、にこやかな笑みが浮かんでいる。
呆気に取られていると、有紀の手が伸びトントンと窓を叩いた。
【有紀】「家、着いたよ」
【美羽】「あ……本当だ。ごめん、気づかなくて。ありがとう」
頭を下げて、車から降りようとシートベルトを外す。
その瞬間、有紀が距離を詰めた。

額が触れるんじゃないかと思うほどの距離に、悲鳴にも似た小さな声が私の唇から漏れる。
【美羽】「何……っ!」
こんな距離まで男の人が接近したのは初めてで、頭の中が一瞬で乱れてしまう。
でも、私の動揺なんてお構いなしに、有紀は更に距離を詰めてきた。
【有紀】「ここからは、俺なりの優しさだと思って聞いてくれるとありがたいんだけど……
成海は、お前を好きにならないよ」
【美羽】「えっ……」
いきなり、なんの前触れもなくそんな事を言われ頭をかなづちで殴られたような衝撃を受ける。
【有紀】「前の子と比べると、美羽はかなりタイプが違うしな。
あの子は大人しくて、お前は行動的だ。見た目も性格も真逆みたいだし」
【有紀】「まあ俺からしたら、成海があの子を好きになった理由も
分からないけど……きっと、あの子には成海にしか分からない良さがあったんだろうな」
【美羽】「ひどい事を言うのね」
【有紀】「俺は成海を見てきたんだ。成海があの子の言動に一喜一憂するのも、傷つくのも」
【有紀】「本当は辛いはずなのに……でも無理して笑うんだ。
あの子が幸せならいいんだって、そう言って笑うんだ。
正直、見てられなかったよ」
有紀は悔しそうに唇を噛む。
【有紀】「俺は、ただ見守るしか出来なかった」
【有紀】「それでも最近、やっと立ち直ったみたいでさ。
いつもの成海の笑顔を見せてくれるようになったんだ」
【有紀】「なのに、またつまらない色恋沙汰に巻き込まれて成海が傷つけられ、壊されるのを黙って見過ごせるわけないだろ」
有紀の言葉が、切実さを増す。
【美羽】「それで……私に釘を刺した、と」
【有紀】「バンドのためにも、成海のためにも……俺は手段を選んでいる余裕はないんだよ」
【有紀】「大体、お前の容姿なら成海じゃなくていいだろ。どんな男も引く手数多なはずだ」
【有紀】「だからさ……成海はやめてくれないか?」
勝手な言い分に腹が立つ前に、有紀の変貌に呆気に取られてしまう。
(今まで見たどの有紀とも違う……怖い……)
あまりに突然で、あまりに横暴で自分勝手すぎて、頭が追いつかない。
私が何も答えられないでいると、有紀の手が私の顎を掴んだ。
【有紀】「男が欲しいなら、俺が相手してやるよ。だから、成海は諦めな」
【美羽】「は? 私はそんな理由で好きなんじゃ……」
慌てて文句を言おうとした――
けど、その言葉は最後まで紡げなかった。
何の前触れもなく唇を塞がれ、驚きで動けなくなる。
(何……これ……なんで……?)
それがキスだと理解する事は出来るのに、どうしてこうなったのかが分からない。
(私の……ファーストキスが……)
ファーストキスは、もっとキラキラしていてきっと心臓なんて飛び出しそうなほどドキドキする。
そんな事を思っていた私の初めてのキスは、なんの好意も抱かない相手に奪われた。
【美羽】「っ、や……! 離して……! やめっ……んんっ!!」
離れようと必死にもがくと、有紀は私の手を強く掴んで自由を奪う。
(やだ、やだ、やだ……! 助けて、成海君!)
でも、王子様は助けになんて来ない。
唇は更に強引に押しつけられ、開いた隙間から舌がねじ込まれる。
今まで体験した事のない感触に私の身体は震え、目からはボロボロと涙が零れた。
【美羽】「ふ、ぅ……ぁ……」
呼吸出来なくなって何度も口を開いて、酸素を求めて喘ぐ。
すると有紀は、やっと私から離れてくれた。
短い呼吸を繰り返しながら、有紀を睨むけど、彼は人の悪い笑顔を浮かべていた。
【有紀】「な? 悪くないだろ。お兄さんが、恋を教えてやるよ」
有紀は笑顔のまま、もう一度顔を近づけてきた――。
- 頬を叩く
- 抵抗しない
CHOOSE : 頬を叩く
【美羽】「っ!」
私は反射的に、有紀の頬を叩いていた。
【有紀】「……っ! 痛っ。平手打ちをされるとは予想外だ」
有紀は私が叩いた頬を擦りながらも、やっぱり笑ったままだった。
そんな彼をきっと睨みつける。
【美羽】「絶対にお断りよ!」
【有紀】「それは……成海を諦めないって事か?
それとも、お兄さんが恋を教えるって言った事か?」
【美羽】「どっちもよ!」
CHOOSE : 抵抗しない
(怖い……っ)
男の人から敵意をむき出しにされた事も、こんな風に迫られた事もなくて……ただ、ただ、怖かった。
そのせいで身体は思うように動かなくて、震える事しか出来ない。
それをどう思ったのか、有紀はまた私の唇にキスを落とした。
(なんで……恋を諦めさせられなきゃいけないの?
なんで、こんな風にキスされなきゃいけないの?)
何もかも分からなくて……とにかく悔しかった。
唇がゆっくり離れていくと、途端に嫌悪感が湧き、私は自分の唇を服の袖で拭う。
何度も、何度も。
【有紀】「おい。そんなに擦ったら血が出るぞ」
有紀が手を伸ばしたけど、それを払ってまた唇を拭う。
(この感触が、早く消えてしまえばいいのに)
涙が溢れるけど、そんな事はどうでも良かった。
とにかく今は、忘れたかった。
【有紀】「……悪かったよ」
【美羽】「……悪かった?」
その言葉を聞いた瞬間、身体の奥から怒りがこみ上げた。
【美羽】「有紀が私にした事は、最低だよ。
人の気持ちを踏みにじって、自分のエゴを押しつけた」
【有紀】「……」
有紀は何も言わず、視線を落とした。
でも、その横顔には反省の色はどこにも見受けられない。
【美羽】「私が誰を好きになろうと、それは私の自由。
そんなの、有紀に指図される覚えはない」
【美羽】「私なんかが、成海君に好きになってもらえるとは思ってない。
でも、好きでい続ける事は勝手でしょ」
【有紀】「……」
【美羽】「それに、成海君が傷つくからって言うけど、有紀は何も分かってない」
【美羽】「確かに成海君は、初恋に敗れて傷ついた。でも、後悔なんてしてない。
そんなの、成海君が書いたあの歌詞を見たら分かるでしょ?」
『this song is dedicated to you.』の歌詞には、成海君の強い『想い』と『願い』が刻まれていた。
傷つき、悲しみでいっぱいになったとしても、好きになった人の幸せを願い、前に進もうとしている強い人なのに……同じバンドメンバーである有紀が分かっていない。
それが、成海君自身と彼の決心を軽んじているみたいで悔しくて仕方なかった。
【美羽】「『俺は成海を見てきた』? よく言うわ。一番成海君を見ていないのはあなたよ!」
【有紀】「っ!」
有紀は息を飲んで、私を見た。
そんな彼を、強く、睨む。
【美羽】「成海君は天使じゃない。普通の男の子なんだよ!」
【美羽】「女の子を好きになるし、奪われたくなくて必死にもがいたり、
その子とうまくいかなくて傷ついたりもする」
【美羽】「でも、失恋したからって成海君は壊れたりしない。
それどころか、相手の幸せを願っちゃう強い人よ」
【美羽】「そんなのも分からないで仲間だって? 聞いて呆れるわ。バカじゃないの」
有紀の目が、動揺で揺れる。
それを見るつもりもなくて、私は溢れる涙を服の袖で拭った。
まだ心臓は恐怖に震えていたけど、それ以上に有紀への怒りが強かった。
強引にキスされた事も、成海君の事を勝手に決めつけて見ようとしていない事も、全部腹立たしい。
【有紀】「……確かに、俺は最低な事をしたな」
【美羽】「本当に最低よ。最低だけど……」
何度か、深呼吸をして……
【美羽】「成海君を守ろうとしたって事は分かるから……さっきの事は、なかった事にする。忘れる。
覚えていたくないし」
【美羽】「でも、守り方が下手ね。プロデューサーとの事もだけど……いろいろダメ。
これからは、もうちょっと成海君を見てあげて」
【有紀】「ああ……」
いきなり背中越しにノックの音が響き、びっくりして振り返る。
すると車の外には、笑顔の成海君がいた。
有紀も気づいたみたいで、私から離れる。
それを合図に、私は車から降りた。
【成海】「俺、夕星とごはんを食べて帰ってきたんだけど、
まさか美羽ちゃんと有紀が一緒にいるなんて思わなかったよ」
【美羽】「収録終わりに、偶然会って……送ってもらったんだ」
【成海】「あれ? 美羽ちゃん、泣いてる?」
【美羽】「あ……」
いくら涙を拭っても、やっぱりバレてしまったみたい。
戸惑う私の目尻に、ほっそりした指を這わせた。
【成海】「赤くなってるよ」
【美羽】「ちょっと、擦っちゃって」
【成海】「ダメだよ、擦ったら痕になるんだから。……もしかして有紀に何かされた?」
心配そうに見つめられ、胸が苦しくなった。
でも私は強引に笑って、首を横に振る。
【美羽】「ううん、違うの。有紀の話が面白くって、笑ってたら涙が出てきたの」
【成海】「本当に?」
【美羽】「本当だよ! ね、有紀」
【有紀】「ああ……」
有紀は気まずそうにしながらも、私の話に合わせてくれた。
【成海】「そっかー。有紀、疑ってごめんね? 確かに、有紀の話って面白いよね」
【美羽】「そうそう! ホント、面白かったー」
【成海】「そういう事なら良かったよ。有紀、美羽ちゃんを送ってくれてありがとう」
【有紀】「どういたしまして。成海、夜更かししないで早く寝ろよ」
【成海】「それは俺のセリフ。有紀も早く寝るんだよ?」
【有紀】「あい」
【成海】「ホントに分かってる~?」
【有紀】「分かってるって。気をつけます」
【成海】「ならいいけど。有紀、気をつけて帰ってね」
【美羽】「有紀、送ってくれてありがとう」
【有紀】「どういたしまして。じゃあ、またな」
有紀は手をひらひらと揺らした後、ハンドルを握って車を走らせた。
それが見えなくなるまで成海君と見送ってから、私達は天城家へと入っていった。
成海君と別れて部屋に戻り、ドアを閉めると、そのまま、床に座り込んだ。
(本当に、最悪……)
また泣きたくなってしまったけど、ぐっと堪えて、私は自分の唇に触れた。
(初めてのキスを……好きな人でもない上に、牽制って意味でされるなんて……)
あんな形で奪われた事のショックが一番大きい。
けど、少し引っかかる事もあった。
(仲間が大切なのは分かるけど……それにしたって、有紀が成海君を守る姿はあまりに必死すぎる気がする)
(有紀がそこまで必死なのは、どうしてなんだろう?)
でも、私にはよく分からなくて……。
【美羽】「……今日は歯磨き2回しよう」
(意味ないかもしれないけど……)
とにかく今は、あの感触を早く消したかった。
【有紀】藍鉄区から黒曜区へと続く道を走りながら、何度もハンドルを指で叩く。
そのうち赤信号で止められると、俺はその指で自分の唇を撫でた。
【有紀】テレビ局で交わしたキスとは違い、口紅の味のしない、ひどく乾いたキスだった。
【有紀】あの感触を思い出すと、どうしてもさっき美羽に言われた言葉を思い出す。
【有紀】「……ムカつく」
【有紀】自分でも苛立っていくのが分かる。それを抑えようと、また指でハンドルを叩いた。
【有紀】キスひとつであんなに泣かれるとは思わなかった。
キスに怯えていたくせに、俺に対して怒りをはっきりとぶつける女。
【有紀】桔平の言う通り、あいつはとんでもなく強気で手のつけられない跳ねっ返りだ。
【有紀】2度目のため息をついていると青信号になったのでハンドルを握り直し、アクセルを踏み込んだ。
【有紀】美羽に言われた事は腹が立つ。
けど……確かに正論でもあった。
【有紀】「……成海も、普通の男の子か」
【有紀】俺のつぶやきは、あいつが好きだと言ったバンドの曲に、かき消された。