Special

ゼン birthday short story

如月全として意識を取り戻したオレが手術の末に光を得たのが冬の始め。
死神・ゼンのターゲットとなったあいつと出会って、恋をして、ちょうど季節が一回りしたころだった。
その後やっと退院の許可が降りたのは、さらに月日が過ぎて病室から見える木々に蕾が目立ってきた春。

「こんにちは。お天気のいい日でよかったですね」
退院に付き添おうと病室に顔を出したあいつは、
普段着に身を包んだオレをみつけるなり、ふんわり柔らかな笑みを見せた。
「おう」
そんな些細なことで、小さな幸せがパッと花開く。
「……お前、花みたいだな。可愛い」
病院の中庭に植えられた、白い芝桜みたいだ。
芝生に似た色の薄手のカーディガンを羽織っているから、余計に。
闇から抜け出したばかりのオレの傍らに、さりげなく寄り添ってくれる光。
思ったままに伝えてみたら、「この服、両親のおみやげなんです。色が素敵ですよね」と照れつつも嬉しそうに教えてくれた。
オレが可愛いって言ったのは当然、服の中身の方だったんだけど。
――けどまあ、期待していたとおり照れた表情は見られたんだし、よしとしよう。

「父から全さんの家の鍵を預かってきました。
生活していくのに必要な手続きは父がしてくれましたし、簡単な掃除も済ませたので、今日から暮らせますよ」
話を聞きながら、あいつが持ってきてくれたバッグに
オレが今朝まで着ていたパジャマと洗顔セット、カトラリーセットを順に詰めていく。
メモ帳だとか、携帯音楽プレーヤーなんかの細かいものも忘れずに。
数年過ごした環境を後にするのは、翌々日には戻ってくる仮退院とわけが違う。
冷蔵庫や棚という棚すべてを2人で指差し確認して、最後にバッグの口を閉じた。
「ええと、あとはナースステーションに寄って挨拶して……」
「ああ、いいよ。自分で持てっから」
そのまま荷物を持って行こうとするあいつを制して、取り上げる。
大まかな私物を昨日までに持ち帰ってもらっていたおかげで、今日の分はオレ1人で楽に運べる量だ。
手の怪我だって死神をやっていた間に完治していて、リハビリもこなしているし、
ちょっとした日常生活において心配されるような状態でもない。
それなのに取り上げられた側のあいつはわずかに唇を尖らせて、オレを見上げた。
「それだと、私が手持ち無沙汰になっちゃいますよ」
左肩に退院手続きの書類が入ったバッグを提げているくせに、両手が空いていたオレに対してそんなことを言う。
「……お前、オレを甘やかすの好きな」
そんでもって、ぼんやりした顔に似合わず、かたくなだ。
いや、こういうところがシュウジに似ているから、似合っている、が正解なのだろうか。
オレのことを、ほうっておかないところ。
優しくて、あったかくて、懐が深いところ。

手が空いているのが嫌だって言うなら。
「んじゃ、こうしようぜ」
オレの左手をあいつの右手に滑りこませる。
すると「え」だか「へ?」だか呆気に取られている間に、あっさり捕まえることができた。
「これでお互い、両手が埋まった」
ぎゅっと握ってやれば諦めたのか、苦く笑って、唇の隙間でため息をつかれた。
「……全さんの方が、私を甘やかしてると思います」
「ハハッ、何言ってんだか。お前のためじゃなくて、オレが繋ぎたいからこうしたんだよ。甘やかしてくれて、ありがとな」
「もう……しょうがないですね」
「うんうん。さっ、行こうぜ」
年上ぶりたいオレを理解したうえで許容してくれる。
やっぱり、わがままなのはオレで、甘やかしているのはあいつなんだろう。
振りほどかれないのをいいことに、手を繋いだまま病室を後にした。

* * * * *

仮退院時はシュウジの家で世話になっていたから、俺が家族と暮らしていた家に戻るのは6年ぶりだ。
タクシーから降りて家の外観を見ても、感慨みたいなものは湧いてこなかった。
ああオレが住んでいたのはこんな家だったのかと、他人事のようでいられる。

それなのに建物の中に入ると、どことなく残っていた空気のにおいや壁の手触り、
家具の位置なんかが懐かしく感じられて、少しだけ胸にこみあげてくるものがあった。
シューズボックスはこんな色してたんだな、って発見だったり、ドアレバーを動かしたときの摩擦音だったり。
思い出と現実が、勝手にすり合わせられていく。
音が基軸だった世界の片隅に色がにじんで、オレの都合なんて気にも留めず広がっていってしまう。

『全』

空間には、音まで染み込んでいるのか。
久しく聞いていなかった声が耳の内側を掠めて、家の奥へいざなうように遠ざかっていった。

確かにオレはここにいた。
母と、幼いころは父と3人で。
けして座り心地がいいとは言えないピアノの椅子に座って、シュウジと音楽や家族の話をした。
耳と手と、家族を頼りに生きてきた。

「全さん」

靴も脱げずに玄関で立ち止まっているオレを、後について入ってきたあいつが呼んだ。
おもむろに振り返る。
なんだか変な感じだ。
よく知っているのに初めての場所で、あいつがオレをみつめている。

 

「おかえりなさい、全さん」
「……ん。ただいま」

あいつが、オレの背にそっと腕を回してくれる。
オレは耐え切れなくなって、勢いよく抱きしめ返した。
大切な人に触れられるって幸せだ。
ちゃんと形のある幸せだと思う。

――生きててよかった。

何度目とも知れない気持ちを実感しながら、心の中でもう一度「ただいま」と呟いてみた。

『遅かったな。おかえり、全』
『おかえり。ぼーっとしてないで、手を洗ってきなさい。もう先生がいらっしゃってるから』

当時なんとも思ってなかった声が染み付いているのは、家じゃなくてオレの記憶なのかもしれない。
もうどこにもいないはずの『日常』が執拗に喉元をくすぐってくるのが苦しくて、思わず目頭が熱くなった。
年上の男が恋人の前で、幾度と無く泣いたり泣きそうになったりするなんて、情けないだろうか。
どこかでそう考えてしまうオレごと許すように、あいつは背中に回した手で、ぽんぽんとさすってくれた。

* * * * *

あいつの作った昼飯を食べ、後片付けは2人でした。
食後休憩にソファーで寛いでいると、何かを抱えたあいつが隣に腰掛けてきた。
「掃除に来た時に、いいものを発見したんです。一緒に見ませんか?」
テーブルに置かれたのは、薄い黄色の表紙の大きな本。
似たような装丁のものを、あいつの家で見かけたことがある。
「これ、アルバムか?」
「はい。まだ私も中を見ていないんです。全さんと見ておきたくて」

1年前のあれは、昔のことを調べるために探したものだ。
あいつの家族のアルバム。不自然に写真が抜き取られた、不思議なアルバムだった。
のちにそれらは空人が写っているものだったことが判明したが、
あいつの両親は――シュウジは、いったいどんな気持ちで息子の写真を抜いていったのだろう。

「…………」
「全さん?」
「……なんでもない」
変なところで勘のいいあいつに悟られないよう視線を伏せて、目の前のアルバムに意識を戻す。
表紙をめくると若い男女のウェディング写真から始まっていた。手を取り合って、カメラに向かって微笑んでいる。
「わぁ……。全さんのご両親、ですよね?」
十中八九そうだろうけれど、顔を見たことがないオレはすぐに頷けなかった。
それよりも、こんな顔をしていたんだと、そっちに夢中になってしまう。
「だろうな」
ややあって返事をすると、あいつは楽しそうに顔をほころばせた。
「ふふっ、全さんとお母さん、目元がそっくりですね。
 うーん、全体の雰囲気はお父さん似でしょうか……頼りがいがありそう」
「かっこいいって?」
「え? そ、そうですね……。かっこいいですよ、全さん」
カアアッと顔を染め上げて慌て出すお前は、可愛いけどな。
言おうとして口を開いたけれど、先手をとって1ページめくったあいつが、「あっ」と大袈裟に声をあげた。
「全さん!」
生まれたばかりの赤ん坊が、母親の胸に抱かれて眠っている。
この世の怖いものになんて何1つ出会ったことのないような、安らかであどけない命が写されていた。
「小さい……」
「そりゃ、赤ん坊だからな」
続けてページをめくりながら、何枚もの写真を眺めていく。
子どもの成長記録だったり、家族旅行の様子だったり、ピアノのコンクールで母子揃って着飾った記念だったり。
雑多なシチュエーションの写真が所狭しと貼ってあった。

そういえば、母親は細かいことが得意ではない、大雑把な性格だった。
料理も大味で、休日にときどき父親が作ってくれた夕食の方が、分量をきっちり計っていたのか、繊細な味がしたものだ。
オレがハンバーグやパスタみたいな料理が好きなのは、簡単で、母親がよく作ってくれた影響だったのかもしれない。

「……ふふっ」
「なんだよ」
「嬉しそうだなぁって、思っただけです」
「どの写真?」
「写真じゃなくて……」
ふいに手を添えられる。
次いでにっこり微笑まれ、写真ではなくオレ自身への感想だと察してしまって、一瞬ひるんだ。

「嬉しいってか、変なカンジ。オレはずっと目が見えなくて、世界の一部を諦めてたのに。
 この人たちはこうやってたくさんオレを見ててくれたんだなってのが今更わかっちゃって、
 どうしたらいいんだろうって」
「……私は全さんのご両親にお会いしたことがないので、どんな人達なのかはわかりませんが……。
 素直に思ったとおり受け取っていいんだと思います」
「思ったとおり?」
「全さんの目が見えなかった分、記憶の足りない分を、記録で補おうとしたんじゃないでしょうか。
 目が見えるようになったら、一緒に眺めて、思い出話できるように……というのが、私の受け取り方です」

シュウジが言っていた。
オレのために、母親が医者を探してくれていたと。
ずっと明るく接してもらっていたからオレが気づけなかっただけで、
オレの父親だって目のことを気にかけてくれていたのかもしれない。
けれど写真でさえオレに向けられた両親の視線はあたたかくて、「かわいそう」なんてひとつも言っていなかった。
ありふれた家族が、当たり前のようにただ存在するだけだった。

「……お前の言うとおりかもな。……嬉しい。直接お礼を言えないのが、悔しいくらいには」
見終えたアルバムを静かに閉じて、あいつと向き合う。
さっきまで平面上に見ていたのと、近しくて少しだけ違う瞳が待っていた。
愛情に満ちていて、優しくて、あったかくて、涙の膜の向こうに映ったオレが、オレを覗き込んでいる。
そのオレもあいつと同じ目でみつめているのがわかって、首の後ろがそわそわした。

「いっぱい長生きして、もうそろそろあっちに行ってもいいかなぁってなったら、ご挨拶に行きたいです」
「なんて?」
「お礼です。おかげさまで、全さんはこんなに素敵な人になったんですよって、教えてあげないと」
「……ばーか」
「口はちょっと悪いですけど、そんなところも可愛いんですよ、って。ふふっ、怒られちゃいますかね」
「げっ、ガキのころも散々口の利き方で叱られたからな~……つか、可愛いとか言わなくていい」
「じゃあ私達だけの秘密にしましょう。全さんが可愛いのは、私だけの秘密にしますね。もう言いません」

小指を差し出される。
オレも出して絡めてみるけれど、それだけじゃ物足りない。

(なあ、「挨拶に行く」って、死ぬ瞬間まで一緒に生きてく予定ってことでいいよな?)

その約束も取り付けてしまいたい気持ちを抑えて、唇を寄せる。
また一瞬で頬を赤らめるくせに目をつむって待っているのが愛しくて、その表情を堪能しながら口づけた。

渡す指輪はまだ準備中だ。
大切な言葉だから、伝える瞬間も大切にしたい。

それとオレも両親に話したいことをまとめておかないと。
とはいえ、それまではこいつと長生きするつもりだし、ゆっくりでいいだろう。

産んで育ててくれて、ピアノを与えてくれて、闇から救おうとしてくれて、感謝してる。

それと、こいつがオレの、誰より大切なやつだって。
胸を張って紹介してやるんだ。

先頭に戻る